
会津若松鶴ヶ城について
白虎隊ゆかりの会津へ
タロアゲが久し振りに帰って来ました。
彼の小中学時代は、鶴ヶ城の前に陸上競技場・会津第二野球場がありました。
走るのが早かったので、会津地区の大会は地元の代表として100m、走り幅跳び、リレーで走り、そこから県大会への切符を手にして進みました。
野球場ではソフトボールの選手としてチームメイトと激戦を制し、福島県大会、東北大会へ進めたことが深い思い出です。その後、陸上競技場も野球場も会津運動公園として会津若松市門田町の方へ移転となりました。
会津若松城について少し書かせていただきます。(Wikipediaより)
城は梯郭式の平山城(平野の中にある山、丘陵等に築城された城)で、本丸を中心に西出丸、北出丸、二の丸、三の丸が周囲に配置。城下町の南端に位置し、会津藩の政庁として会津の政治の中心であった。藩主の会津松平家は徳川将軍家と密接な関係にあり幕末には戊辰戦争の激戦地となり、現在、城跡は「鶴ヶ城公園」となっており、そのほとんどが国の史跡に指定されている。天守閣は鉄筋コンクリートで外観復元され、内部は若松城天守閣郷土博物館となっている。
至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名しました。慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として知られるようになりました。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建され、平成に入り茶室や隅櫓も復元されました。平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられました。 (会津若松市HPより)
東日本大震災により石垣が少し崩れた程度で大きな損傷は私の記憶になく、建築物の強さを感じました。
【交通アクセス】
JR会津若松駅より
*会津若松駅から鶴ヶ城までは徒歩約35分
*まちなか周遊バス「あかべぇ」「ハイカラさん」約20分
【天守閣博物館 開館時間】
8:30 ~17:00 ※最終ご入場は16:30 まで
【休館日】
無休
【駐車場】
西出丸駐車場:普通車200台収容可
東口駐車場:普通車129台収容可
南口駐車場:普通車35台収容可
※いずれも有料
最初の1時間200円、以降1時間ごとに100円追加
次回は戊辰戦争について